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  • 執筆者の写真大学受験のポラリス(志望理由書・小論文等対策)

2016年 青山学院大学 総合文化政策学部 B方式の小論文解説!【プラトン】

更新日:2020年2月3日

2016年の青山学院大学 総合文化政策学部 B方式の小論文の解説をしてみたいと思います!

今回引用されたのは、プラトン作「国家」です!

名前は知ってるけど、読んだことない!という人がほとんどでしょう!

その一部が抜粋されています。

青山学院大学の総合文化政策学部では、毎年小論文が出題されているのですが、2016年に傾向ががらりと変わりました!

それまでは、資料が与えられて、それを利用した問題が出されていましたが、2016年から最近の傾向が始まったのです。

ですから、まだ過去問が4回分しかないんですね。

2019年のB方式の倍率は10.7倍でした!

「高い!」と思うかもしれませんが、

全学部日程は11.3倍!

A方式が21.0倍!

・・・ということで、10倍を超えていても、「低い!」んですね。

B方式で受験したほうが有利!かもしれませんよ。

ちなみに、2016年のB方式の倍率は7.0倍だったようです。



では、小論文解説です!



まず、問題ですが、ここから始まりましたが、ずっと同じ形式です。

つまり、問1で作者の主張を要約し、問2で反対意見を書かせ、問3で自分の意見を書かせるというものです。問4では穴埋め問題が出ているのも同じです。


問1に関して、まずは本文をしっかりと理解しなければいけません。

が、この文章はわかりにくいですね!時間内になんとか読解して、文を書いていくのはかなり難しかったでしょう。

たぶん、受験生の答案を見たら、ほとんどまともな文章を書いている受験生がいなかったのではないでしょうか?

その証拠に、次の年から課題文の内容がとてもわかりやすくなっていますよね。

ですから、2016年よりもわかりにくい文章が出ることはないと考えていいでしょう。


話は戻りますが、課題文の内容把握です。

要するに、「観念論」ですね。

観念論、わかりますか?

あやふやな人は、辞書や現代文用語集を見直しましょう!

「観念論とは、観念的もしくは精神的なものが外界とは独立した地位を持っているという確信を表すものである。」wikipediaより

ということです。

それをわかりやすく説明するために、詩や椅子や机を例として出しているのですが、かえってわかりにくいですね(笑)。

椅子の例をわかりやすく言い直すと、こんな感じでしょうか?

例えば、ある椅子職人がいて、その人が「こういう椅子を作りたい!」と頭に思い浮かべていたとします。それを実際に作ろうとしてみますが、その椅子職人が考えていたものとはちょっと違うものができてしまった、というような感じでしょうか。

または、数学でいうところの、近似値と真の値の関係にも似ていそうですね!


正確な理解とはいえませんが、この程度の理解でとりあえず解答は書くことができそうです。

実相、写像、真実在あたりの言葉を使って書くといいでしょう。


なお、「実相」に<イデア>と<エイドス>の二つの言葉が付記されていますが、プラトンにおいては、これらは区別されていなかったようなので、ここは気にしなくてもいいようです。これを区別するようになったのは、アリストテレス以降だそうです。

まぎらわしい・・・。


次に、問2の反対説です。

こちらは、唯物論で書くといいでしょう。

観念論に対比される考え方は、唯物論です。

唯物論とは、「 観念や精神、心などの根底には物質があると考え、それを重視する考え方」ですね(wikipediaより)。

観念論と唯物論との詳しい違いについては、自分で調べてみましょう!

現代文にも出てきそうですね。

受験的には、完全に理解するというよりも、それらの違いを言葉にして説明できるようにする程度で大丈夫です。

解答の流れとしては、問1で物の本質は別なところにあって、われわれ人間にはそれを探知したり、表現することはできないという考えを書いたのですが、それに対して、そんなことはない!と書くのですね。

つまり、物はその物が存在することが全てで、その裏になにか別の本質的なものが存在するのではない、というようなことを書くといいでしょう。

これが唯物論的な書き方です。


また、これとは別な書き方も可能でしょう。

それが、認知論からの記述です。

これは、最近(とはいっても、20世紀前半からなのですが)流行りだした考え方なのですが、そもそも人間が外界を完璧に認識するとはできないので、人間はその認知能力の範囲でしか外界の様子を知ることができないという考え方を基本とするものです。

観念論だと、人間の認知能力によって、外界にある物質を完全に認識することは可能だと考えています。というか、そもそも、人間に認識能力自体に懐疑的な考えを持っていません。

事柄の本質が、物そのものなのか、物の奥にある何か別のものなのかという議論の前の段階の話が、認知論です。

そこを突いても、一応、反論と言えるでしょう。


ちょっと何を言っているのかわからないかもしれないので、例を挙げてみましょう。

本文で、椅子が例として挙げられていますが、ある椅子が存在したとして、その椅子をどの人間もみんな「椅子」であると認識できるのでしょうか?

椅子だとちょっと微妙な椅子もあるので、まだわかりにくいかもしれません。

色ではどうでしょう?

みんなが同じ色だと認識している保証はあるのでしょうか?

さらに、みんなが「緑」だと言っている色は、果たして同じ色だと感じているのでしょうか?見えている物が、各個人の脳にどのように伝達されているか調べる方法はないのではないでしょうか?

また、虹についてですが、国によって見える色の数が違うという調査も明らかになっているようです。

中には、「色盲」といって、色が見えない(白黒の世界しか目に映らない)人もいて、人間の認知能力には個人差があるし、認識できる範囲には限界があるといえるのではないでしょうか?

その観察者側の事情を考えることなしに、物の本質を考えてもあまり意味はないのではないでしょうか?

そういったところについて議論するのが、認知論です。


ちょっと問2が長くなりましたね。

問3です。

こちらは、どちらかの考え方に立って、自由に書いたらいいと思います。

現代は、唯物論的な考え方が主流だと思うので、そちらで書いた方が書きやすいかなと思います。

ただ、どちらの考えのみで書くよう気を付けよう。気を抜くと、両方が混じってしまいやすいので。


 

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